《日本で2番目に大きい木造建築、飛雲閣、書院は国宝》
◆真宗建築の御影堂(大師堂・祖師堂)は確かにでかい。
本堂より大きな伽藍に宗祖の骨肉像を安置するあたりに他宗派に対する当時の勢力がうかがえる様な気がする。
特別公開の書院は桃山様式そのものなので絵付き格天井、金箔張りの建具に派手な欄間。
欄間の構図は色々で細工・厚み共に豪華。
狭屋の間の天井にはたくさんの書物が描かれ中央に小さな猫を配してネズミの害から書物を守っている。
八方睨みというが人間にはあまり迫力がない。
虎溪の庭は自分の好みではなく御影堂の屋根を名山・盧山に見立てた借景との説明だがピンと来ない。
黒書院に至る伝廊の透かし彫り扉はその意匠に思わず立ち止まって見てしまった。
中に入れなかった黒書院は重々しい雰囲気がなさそうで興味を惹く。
北能舞台の前に敷いてある石が粒ぞろいで一つずつ並べてあるのは音響効果が目的らしい。
舞台に接続する渡り廊下の欄干に浅い角度が付いているので注目しよう。
対面所『鴻の間』こうのまは寺院建築に武者隠しとか右端の上々段などが珍しい。
正面の絵は逆遠近法で前に座った人を浮き立たせるとか。
滴翠園は高低差のある池泉庭園となっているがあまり美しいと感じない。
飛雲閣は四種類の屋根を組み合わせた珍しい建物で船着きなどもある。
左右対称の黄鶴台も用途の上から高床でその前の渡り廊下の屋根の微妙なむくりや番傘屋根の東屋、池に架かる一枚石の橋など建築としては見るべきものが多かった。
待合いを含め茶室関連はなぜか赤壁。
二つ目の茶室のそばにたつ春日灯籠は頂点の宝珠が小さくて自分好み。
★現在は御影堂が平成の大修理中ですが、阿弥陀堂参拝は出来ます又飛雲閣/書院/日暮門の特別拝観も事前申込をすれば可能です。
お西さん…と呼ばれ親しまれている大寺院で、親鸞聖人の娘「覚信尼」が東山大谷の地に親鸞の墓を奉り堂を建てたのが始まりですが戦国時代前後は各地に移転し天正19年(1591)秀吉がこの地を寄進して移る。
滴翠園の中に在る滄浪池に面して国宝「飛雲閣」が在ります。
豊臣秀吉が聚落第(邸宅)に建てた物を現在の場所へ寛永の頃、移しました。
一階は主室の招賢殿と八景の間、舟入の間、さらに後に増築された茶室・憶昔からなります。
二階は歌仙の間、三階は摘星楼と呼ばれる展望室で、全体に外に向かって開かれた庭園と一体となった構造になっています。
柿葺三層の楼閣建築ですが金閣や銀閣が住宅と仏殿の組み合わせに対し飛雲閣は住宅と茶室が組み合わされた建築物で、国宝茶室・憶昔(いくじゃく)の間や太閣(豊臣秀吉)遺愛の浴場国宝「黄鶴台」が併設してあり重文「黄鶴台(おうかくだい)」には蒸風呂と湯釜と水槽が在ります。
床は板張りで、布を敷いて座るようになっていました。
秀吉の体が小さい為に、その敷物で体をすっかり包んでしまえた事柄から、品物を包む布を風呂敷と言うようになったと伝えられています。
大書院白書院は桃山文化の金箔張り。狭屋の間から特別名勝枯山水「虎渓(こけい)の庭」を観賞できる。
能舞台は北舞台が二本最古と言われている逆さ銀杏と呼ばれる銀杏もある。
●竜谷山/浄土真宗本願寺派本山
※世界文化遺産・飛雲閣は京の山名閣&四名閣