コメント
ラブホのホームページの中の・と何気に見てましたら、これはとんでもない(笑)あくまでも良い意味で。
天龍寺は本当に素晴らしいですよね、桜の時期も紅葉の時期も。
嵐山はお寺のみならず、幼少期によく両親に連れて行ってもらった経験があり、すごく懐かしく、また大好きな場所です。大人になりました今でも秋になりますと、ふと訪れたりします。
なぜかはわかりませんが、ここは飽きないんです。いろんな場所を回って天龍寺に行くことが多いせいか、いつもPM4時くらいになりましたが、夕暮れの天龍寺は観光客がまばらで静かでなかなかよく、情趣があります。お寺に上がりますと、床は冷たく、暫く腰かけてますと、寒さが染み入ってきて、何かしら厳正な気持ちになります。いわば時間や空間が停止した感じ、といいましょうか。忙しい日常を忘れて、自分の世界に浸れます。
あと、秋になりますと亀山公園の紅葉も素晴らしいですね!
私は京都が好きな割に同じような場所ばかり訪れているせいか、あまり深く知りません。有名な場所は大体、訪れてはいますが。
またいろんな場所をピックアップして下さると嬉しいです。
ではまた。
| pain | 2008/03/10 4:58 PM |
京都は長く都が続いていたせいもあって歴史の中で積み重ねられた文化が(なぜか自分の感覚では)その厚みを感じさせないで街のあちこちに佇んでいる…といった感じで非常に都会的でしたがこの頃は観光色が強くなり嫌な面も出てきています。
私はこういう所で心の居住まいを正したりすることは苦手ですが特に技術的な事に興味があり、作庭や建築の様式から時代をたどったりしています。
予約が必要だったりしますが同じ京都では「夢窓疎石」繋がりで西芳寺(苔寺)に行ってみると少し違ったモノが見えるのではないでしょうか。
特に暖かい季節に行くと景色の色素が少し減ったような感じを覚えます。
また、これは一部特別拝観だったような気がしますが井手の玉川辺りで捕まえてきた蛙を放したという南禅院も「夢窓疎石」の作庭と言われています。
ま、京都は住むには不便ですが文化や歴史を訪ねて歩くのには願ってもないところです。
食べるものもおいしいです。(高いけど)
見るものも粋です。(高いけど)
色々行ってみて下さい。
| なむ&まおす | 2008/03/29 9:15 AM |
お久しぶりです。
今年の春は宝ケ池に行きました。ここは桜がいささかウンザリするくらい咲き誇っていましたよ。
私は観光客がわんさか行く場所は苦手なので、さびれてない程度に静かな場所が好きです。コメントして下さった場所にも足を運ぼうと思います。
それから四条通りなどの街を歩くと、やはり京都の人はオシャレだと感じます。神戸や大阪のオシャレさとは明らかに違う。
たとえ地味でも良い物を身に付けている人は多かったですね。
あと、確かに場所によっては観光客寄りのお店が目立って景観が損なわれている感じは若干します。
観光客とはあまり関係ないですが、コンビニなどもそうです。これに代表されるような建物は、地元の人から見ると、無色透明な場所というか、地域的な文脈と何の照応関係もないもの。
そのせいか、地元の人間でなくとも神社の前にコンビニがあると違和感があります。旅は本来、非日常なのに日常と変わらない風景があるというふうに。
今は山や物凄い田舎に行かない限り、どこに行っても、入れ替え可能な、どこにでもある景観が多かったりしますが、京都の街はまだそういったものは少ないと思います。
自分は心の居住まいを正すというよりは、歴史的建造物の中で、独特の世界に浸りたいだけなのかもしれません。
| pain | 2008/05/11 1:15 AM |
そうですね。
不便なこともひっくるめて変わらないものがそこにあるという現実自体が私達が期待しているもてなしなのかも知れません。
しかしながらそれらは脆く、か弱く、儚いものでもあります。
ススキの原がセイタカアワダチソウに、琵琶湖のニゴロブナがブラックバスに浸食されていくように、純粋の固有種が失われていく悲しさがあります。
例えば六角堂の周りにビルが無く創建当時(寺域は途中で当時の収容にあっていますが)に近い状態であれば象徴的な建物で雰囲気も違ったと思いますし、遠くから眺めることもできたと思います。
…できれば早いうちに見ておきたいですね(笑)
そう言えば姫路城(天守閣)が改修工事に入りますね。
| なむ&まおす | 2008/05/16 10:43 AM |
ほぉーそうですか。
清水寺も本堂が修理されるみたいですね。こういった場合、拝観はどうなるのでしょうね。
技術的なことはよくわかりませんが、将来老朽化が進んでこれらのものを維持していくのは大変でしょうね。
でも国民が誇れるものは大切に守りぬいて欲しいなと思いますね。
あと、美術館、博物館などは行かれたりしますか?
私は近郊の美術館で良いのが開催されれば観に行ったりもします。
京都の博物館は国宝クラスの展示が多いので羨ましく思うのです。
| pain | 2008/06/08 12:24 AM |
行きますよ。
何でも見ます。
絵画、彫刻、仏像、陶磁器、刀剣などよく解っていませんが観るのが好きです。
古い物や本物を見続けたりすると作者や時代のモリアガリがなんとなく感じることができてひとつのジャンルの中に自分の好きなゾーンを発見することができるんです。
現代の物もいいですが自分は古い物の中にかっこいい物を多く見つけてしまいます。
| 管理人 | 2008/07/19 4:17 PM |
これは美術だけではなく文学にもいえることですが、重圧感というか、見る者を圧倒させる何かが古いものにはあるような気がします。昔の人のほうが感性は豊かで鋭かったのかもしれませんね。
古いものの方が、現在も生き残って人に受け入れられているということが計れる意味で、レベルが高いように思います。逆にいえば古いものでもつまらないものは淘汰されていったのではないでしょうか。
一世紀以上たっても残っていけるというのは本物といえそうです。
こういったものを通じて歴史を斜め読みできるのも現代に生きる者の特権といえそうですね。
祇園祭を世界遺産に登録申請中だという話を聞きましたが、機会があれば京都のお祭りも観ておいたほうが良いですか?
| pain | 2008/08/29 10:36 PM |
返事、遅くなってすいません。
わが国の古いものの中にはわれわれの先祖やこの島国で育まれてきた文化が詰まっています。
その文化は人間の感性が主役となってできています。
一方現代は感性や情緒が「便利環境」のなかで退化させられています。
そうでないと「身を切るような」といったような表現は出てこないでしょう。
「不便」のなかには結構感動があったように思います。
勿論それが全てではありませんが小さい頃、自転車でに乗れるようになってから、その行動範囲の拡大にわくわくしたような感覚は今のぼくにはありません。
ほかにできる事が増えたというのもありますが一方では少し残念に思っています。
単に学問などではなく、感じるための触覚というか人間の五感は昔のほうが鋭くて正確な評価や判定ができたのではないでしょうか。
ですからそういったものに圧倒されればされるほど自分の貧弱な感性やなくしてしまったものの多さを思い知らされます。
それから京都には三大祭がありますが祇園祭と葵祭りはチャンスがあれば観ておいたほうが良いと思います。
葵祭りはその儀式の意味を知るために先に下鴨神社と上鴨神社を拝観しておくとなおいいです。
祇園祭は数日前から山車(だし)に乗ったり近くで見学できるので当日よりもひょっとして面白いかも知れません。
少し調べると「御旅所」とかの存在意義もわかったりします。
暑い時期ですのでご自愛頂きながらということですが。。。
| 管理人 | 2008/11/05 11:54 PM |
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