◆蛤御門から入り右手の桃林梅林との境あたりに立つと正門の後ろに東大文字が見える。
御苑内は車輌の往来があるためか砂利が踏み固まって歩きやすく埃も立たない。
塀の漆喰はどこまでも通っていて職人の腕がわかる。
大宮御所御常御殿の懸魚にも珍しい細工が施されている。
内部は大宮御所の御殿を除いて茶室が2棟と建物があまりなく小堀遠州作の庭の回遊が主体。
それだけに開放的であっさりしている。
地表を刈り込んだおかめ笹と杉苔で被いつくして灌木を遠避けてあるので起伏自体が印象的。
散策は常に水辺であり中でも藤の八ッ橋は美しい。
広々として大木も多いがカラスがやかましくまたしても水をさされた。
州浜の一升石は自分が思っていたより小さく感じた。
各所に配してある石燈籠のバランスは最高で春日燈籠は菊紋入り、醒花亭の朝鮮灯籠は加藤清正の献上品とか。
又新亭の四つ目垣は竹の枝を残してトゲにしてある。
紅葉の頃は間違いなく驚愕物件になりそう。
★仙洞御所とは、もともと天皇を退位した上皇が住む内裏のことで、院御所とも呼び、平安時代以来の歴史をもっています。
現在、御苑内に残る仙洞御所は、寛永4(1627)年、小堀遠州(こぼりえんしゅう、1579〜1647)を作事奉行として後水尾天皇の譲位に備えて造営されたものです。
大宮御所も仙洞御所と同じ時、東福門院(後水尾天皇中宮・徳川秀忠息女)の御所として女院御所跡に造られました。
御殿は数回の焼失を繰り返し、安政元(1854)年を最後に再建されることなく、今は苑池を残すのみです。
大宮御所も同じく安政元年に焼失しましたが、英照皇太后(えいしょうこうたいごう、孝明天皇皇后)のために慶応3(1867)年に再興され、現在では国賓等の宿舎に用いられています。
善能寺 ぜんのうじ
◆泉涌寺のついでに立ち寄る程度だが、薄暗い木立の中でそこだけ明るいので目を引く事は確か。
苔の地面に敷石がまっすぐ通って足下もいい。
ちょっと前衛的で宗教的だが重森三玲作庭の庭園も見よう。
★真言宗泉涌寺の塔頭で、本堂は航空機の事故により遭難した遺族により建立寄進されました。
本堂には、『聖観音菩薩』が祀られています。
●真言宗泉涌寺派
※泉涌寺塔頭
泉涌寺 せんにゅうじ
《通称みてらと呼ばれる/楊貴妃観音》
◆割と大きな寺だが『御寺 みてら』色が強い。
庭園はそれなりに美しい。
★皇室との関係が深いお寺で「みてら」と呼ばれています。
空海が天長年間(830頃)庵を建てたのが寺の起こりです。
本坊内には御所から移築された御座所を始め皇室縁の部屋が保存され秋は御座所庭園の紅葉が素敵。
●東山/真言宗泉涌寺派総本山
禅林寺(永観堂) ぜんりんじ(えいかんどう)
《紅葉の名所、見返り仏》
◆境内は高低差があり植裁・堂伽藍の配置の妙。見返り阿弥陀も合わせて素晴らしい。
★正式な寺名は禅林寺ですが皆さん親しみを込めて永観堂と呼んでいます。
山手に塔頭が並び回廊沿いに紅葉が多数有り、門横の池廻りと堂内両方から紅葉が楽しめます。
本尊は首を左に振り返る阿弥陀如来仏で「見返り阿弥陀」と呼ばれています。
真紹僧都が平安時代に創建し後、承暦時代頃(1077頃)に永観律師が住職となる。
貧しい病人に徳を施した永観を慕いいつしか永観堂と称されるようになりました。
勅使門横の悲田梅は(梅の実/薬草を施す)その名残です。
●聖衆来迎山/浄土宗西山禅林派総本山